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真の信頼とは何か? それは何を言っても傷つかない関係を築くことだろう。 何かを言って傷つくのであれば それはお互いに社会という共通項を共有していないことを意味する。 自由主義を選択する、この日本社会において お互いのスタンスを明確にしないことは明らかに自由を共有できてないということである。 社会を共有できてないからこそ、個々人は自己の殻に 自我防衛のネットを張り、極力他人に、さらには本当の自分にさえも 干渉しないことを無意識的に行う。 信頼とは愛であり、何を言っても傷つかない関係。 それはお互いに強く信じるものを共有しているからこそ 成り立つものであって、同じものを共有できていなければ 単なる批判合戦として埋没してしまうだろう。 他人の地雷を踏まないように 細心の注意を払いながらの人間関係ほど疲れるものはないだろう。 お互いに愛を語りながら 腹蔵いかばかりか?という感じである。 ライトワークが愛だとは言っても それが社会変革に繋がらなければ 何かを共有することにはならないだろうと思う。 結局、人間とはさびしいもので真に分かり合えるものなどいない。 だからこそ、神や社会を生み出し共有することによって 私たち人間は共に救われるのである。 それは私たちが猿と同じ集団でしか生きられない種族であることを証明している。 ハートを開く、それは決して簡単なことではない。 いかに人付き合いが多くとも、真に自分を全ての人間に語れる人は そう多くはないだろう。 まして、現在の日本社会のように多くの価値観を認められない社会においては 自分を出すことは恐怖を生み出すだろうと思う。 この現実に反して、メディアの論調は 多様な価値観が認められる社会になったということである。 しかし、干渉しあわない多様さとは本来、多様とは言わない。 自然を見ればわかるように 様々な生命が積極的に干渉しお互いに骨の髄まで影響し合って生きている。 これこそが多様性なのである。 骨の髄まで干渉しあってこそ、そしてお互いに批判しあってこそ 社会は共有され、多様性が成り立つのである。 信頼とは、この多様性を前提として持っていなければ成り立たない。 だからセンタリングが必要だとこの仕事を始めたときから言っている。 センタリングこそスピリチュアルだと言っている。 果たして、それが広く本質的に達成されてるかは はなはだ疑問である。 だから、JSR運動を展開しようと思う。 自我防衛壊滅作戦、パックスデモクラティアへ |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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レムリアンリゾナンス研修中 |
roan 2008/03/30 01:30 |
返信が長くなりすぎまして(笑) |
ナカちゃん 2008/03/30 23:39 |
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